HOME > 知る > 伝統食品教室 > 蒲鉾:料理人 野崎洋光の漆器と蒲鉾

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「紀文 漆器コレクション」の中から、季節にふさわしいものを野崎洋光さんが選び、
その器にあった蒲鉾や料理を盛り付けたものです。

講師
:野崎洋光
:依田 徹

<野崎洋光の文月の食>

元禄期の大宴会を描いた『四季日待図巻』の賑わいに心を寄せ、今回は素麺を、大胆にも盃に盛り付けてみました。

暑い時期に喉越しの良い素麺は、涼を呼び込む最高の演出です。そこに華を添えるのは、彩り豊かな紀文の蒲鉾。職人技が光る様々な種類の蒲鉾をあわせることで、朱塗りの器の上で雅趣あふれる共演が始まりました。中でも昆布蒲鉾の引き締まった黒は、卓上に凛とした美しさを添えています。

古の宴の風情を蒲鉾の色彩がそのまま映し出し、至福のひとときとなりそうですね。

献立:素麺と蒲鉾、薬味などを添えて

献立:素麺と蒲鉾、薬味などを添えて

文月の漆器 花鳥蒔絵引盃(かちょうまきえひきさかずき)

『蔦蒔絵盤』作者不詳/明治時代 19世紀

『蔦蒔絵盤』作者不詳/江戸〜明治時代 19世紀

<依田 徹の漆器と絵画の解説>

「花鳥蒔絵引盃」とは

酒の歴史と盃の関係

日本の酒造りは、とても古い歴史を持っています。縄文時代にはすでに山ぶどうを発酵させたワインが作られており、弥生時代には稲作と共に濁り酒の醸造技術も広まりました。ですがお酒を飲む器は、実はなかなか進化しませんでした。平安貴族たちが主に用いていたのが素焼きの「かわらけ」であり、今も神前にお供えする時に使われます。

そして平安時代後半になり、やっと木地に漆を塗った「朱盃」が登場してきます。見た目の美しさ、そして唇に当たった時の感触が良かったからでしょう。室町時代には朱盃が主流となり、足利将軍家では種々の盃の儀礼を作りました。宴会の始まりの「式三献」は現在すたれてしまいましたが、結婚式の「三々九度」は健在です。盃は上下関係、そして家族関係を確かめるものとなったのです。

盃の絵画資料 『花鳥蒔絵引盃』

盃を描いた絵画は多いのですが、今回は出光美術館の『四季日待図巻しきひまちずかん 』を紹介したいと思います。作者の英一蝶(1652~1724年)は中橋狩野家の高弟だったのですが、流派で禁止されている浮世絵を描いて破門になり、吉原の花街で太鼓持ちなどしていたとされる破天荒な絵師です。

そして生類憐みの令に違反して伊豆諸島の三宅島に流されるのですが、人気は衰えずに離島でも江戸の風俗を活き活きと描き続けました。この『四季日待図巻』も、そんな三宅島時代の作品です。「日待」とは民間習俗の一つで、斎戒した人々が一晩眠らないで日の出を待つという、神聖なものでした。しかし次第に眠気を掃うために様々な遊び事が持ち込まれる様になり、元禄時代には徹夜の大宴会へと変貌していたのです。

この絵巻物を見ると、立派な武家屋敷に多くの人々が集まり、踊りや囲碁、あるいは射的といった遊びに興じています。その一画では、人形芝居も催されていました。屋敷の表坊主が明かりをつけているので、夕方から夜に移るころ合いでしょう。その隣の座敷が楽屋となっており、傀儡師たちが予行演習をしています。そこに駆け込んでいるのは、右手に燗鍋、左手に重ねた朱盃を持った人物です。楽屋を訪れた贔屓に一献出すのでしょうか。絵画に描かれる盃も、宴の盛り上がりを感じさせる小道具なのです。

 

英一蝶『四季日待図巻しきひまちずかん

盃の絵画資料 『花鳥蒔絵引盃』

盃を描いた絵画は多いのですが、今回は出光美術館の『四季日待図巻』を紹介したいと思います。作者の英一蝶(1652~1724年)は中橋狩野家の高弟だったのですが、流派で禁止されている浮世絵を描いて破門になり、吉原の花街で太鼓持ちなどしていたとされる破天荒な絵師です。

そして生類憐みの令に違反して伊豆諸島の三宅島に流されるのですが、人気は衰えずに離島でも江戸の風俗を活き活きと描き続けました。この『四季日待図巻』も、そんな三宅島時代の作品です。「日待」とは民間習俗の一つで、斎戒した人々が一晩眠らないで日の出を待つという、神聖なものでした。しかし次第に眠気を掃うために様々な遊び事が持ち込まれる様になり、元禄時代には徹夜の大宴会へと変貌していたのです。

英一蝶『四季日待図巻』(出光美術館 蔵)江戸時代 17〜18世紀

英一蝶『四季日待図巻』(出光美術館 蔵)江戸時代 17〜18世紀

右手に燗鍋、左手に重ねた朱盃を持った人物

右手に燗鍋、左手に重ねた朱盃を持った人物

英一蝶『四季日待図巻』(出光美術館 蔵)江戸時代 17〜18世紀

英一蝶『四季日待図巻』(出光美術館 蔵)江戸時代 17〜18世紀

魚を捌いて宴席の料理を作っている男性

魚を捌いて宴席の料理を作っている男性

この絵巻物を見ると、立派な武家屋敷に多くの人々が集まり、踊りや囲碁、あるいは射的といった遊びに興じています。その一画では、人形芝居も催されていました。屋敷の表坊主が明かりをつけているので、夕方から夜に移るころ合いでしょう。その隣の座敷が楽屋となっており、傀儡師たちが予行演習をしています。そこに駆け込んでいるのは、右手に燗鍋、左手に重ねた朱盃を持った人物です。楽屋を訪れた贔屓に一献出すのでしょうか。絵画に描かれる盃も、宴の盛り上がりを感じさせる小道具なのです。

 

『四季日待図巻』の特徴

『花鳥蒔絵引盃』の特徴

お料理ですが、『花鳥蒔絵引盃』に、素麺と色とりどりの蒲鉾を盛っていただきました。これは朱塗りの盃を20枚組とした立派なセットで、桜や牡丹、百合や女郎花といった四季の草花に、雉や雀、鷺といった鳥を組み合わせた花鳥の図案を表裏に蒔絵で表しています。高台の裏側には切枝の橘が表されており、あるいは依頼主の家紋が橘だったのかもしれません。

また素麺は、奈良時代に中国から伝わった粉食文化の一つ、「索餅さくべい」がルーツと考えられています。奈良時代の木簡にはすでに索餅の文字が見えているので、奈良県の三輪が素麺の名産地なのもうなずけます。平安時代に入ると素麺は七タの儀式の際の供え物の一つとなり、今も夏の風物詩として親しまれています。

蒔絵で、四季の草花に、雉や雀、鷺といった鳥を組み合わせた花鳥の図案を表す

蒔絵で、四季の草花に、雉や雀、鷺といった鳥を組み合わせた花鳥の図案を表す

昆布蒲鉾

今月ご紹介する 「昆布蒲鉾」 は、紀文で年末の時期だけ販売する巻き蒲鉾の一種。

ワカメ・アラメなどの海藻で巻く「めまき」は、室町時代の『食物服用の巻』(1504年写)にも記述が見られ、古くから親しまれてきた歴史ある食品です。

富山では、北前船の寄港地として昆布が運び込まれたことから、昆布は地域の食文化に欠かせない存在となり、蒲鉾板の代わりに昆布を用いた巻き蒲鉾が盛んに作られるようになったそうです。

昆布の旨味と蒲鉾の上品な味わいが調和したおいしさ、そして黒と白のコントラストが生み出す美しさは、まさに唯一無二の魅力です。

昆布蒲鉾

盛り付け及び監修:野崎洋光(のざきひろみつ)
1953年福島県生まれ。武蔵野栄養専門学校卒業。和食料理人。1980年「とく山」の料理長に、1989年に「分とく山」を開店し、総料理長となり、2023年勇退。和食の技と素材の味を活かした家庭料理のレシピで定評がある。著書に、『日本料理 味つけ便利帳』(柴田書店、2010年)など多数。近著は『永久保存版和食上手になる食材事典』(世界文化社、2026年)。
漆器及び絵画の解説:依田 徹(よだとおる)
1977年、山梨県生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科芸術学専攻、博士後期課程修了。博士(美術)。さいたま市大宮盆栽美術館学芸員を経て、現在は遠山記念館学芸課長。日本近代美術史、茶道史を専門とし、著書に『盆栽の誕生』(大修館書店、2014年)『皇室と茶の湯』(淡交社、2019年)『懐石新書』(淡交社、2025年)などがある。

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